なんじゃもんじゃ? (Chionanthus sp.)

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Last update: 2007/07/31
Chionanthus sp.

なんじゃ?もんじゃ?


flowers of Chionanthus sp.

上の写真は、先日トップページに出したものです。東京・江東区の公園で見つけ、「ヒトツバタゴ」 (Chionanthus retusus ) だと思っていたのですが、今頃になって正体がどうもイマイチ分からなくなってしまいました。

というのは、自生する在来のものの他に、北米に分布する近縁種(C. virginicus ) が導入されているらしいのです。 う、これはちょっとマズイ。

ちなみに、ヒトツバタゴはモクセイ科に属し、バットの材料で知られるアオダモやトネリコなどに近い木です。江戸時代末に本草学者の水谷豊文が単葉の(ヒトツバ)トネリコ(方言でタゴノキ)という意味で名をつけたそうですが、実際はトネリコ属 (Fraxinus ) ではありません。

"Chionanthus" という属の名前は chion(雪)+anthus(花)の意味で、花が咲くと雪をかぶったようになる(右図: 同じ個体)ことから来ていると言われています。

日本ではあまり見ないため、珍しい・正体不明という意味で、「なんじゃもんじゃ」の別名があります。これ見つけたときは密かに「おおっ」という感じだったんですが、しかし、ほんとにこの木は なんじゃもんじゃ?

地方によって、クスノキなどの大木などに対して「なんじゃもんじゃ」の名前が使われる事があるそうです。柳田國男は、これはヒトツバタゴのように名前が不明という理由でなく、その木が大切な存在なので、わざと特定の名前をつけないのである、と論じています(信州随筆)。 また、コケ植物で「ナンジャモンジャゴケ」という標準和名を持った種があります。こちらは、ヒトツバタゴと同じように、正体不明ということから付けられた名前のようです。(上村登 1973, なんじゃもんじゃ 植物学名の話, 図鑑の北隆館 pp. 142-144.)



Chionanthus retusus:ヒトツバタゴ=なんじゃもんじゃと、問題のC. virginicus:アメリカヒトツバタゴとの違いですが、資料から違いだけ抜き出すと次のようなことになるようです。

ヒトツバタゴアメリカヒトツバタゴ
分布日本・朝鮮半島・台湾・中国中南部米国東南部
全形高さ20mに達する高木高さ10mになる小高木
長さ10cm長さ10-20cm
花序直立して頂生、長さ7-12cm前年枝の上方の腋芽からのびて下垂、長さ10-15cm
果実1cmほどの楕円形で黒熟2cmほどで紫黒色

出典:能城修一 1994, ヒトツバタゴ, 植物の世界19: 2-204 - 2-205 朝日新聞社.
なお、この属には C. ramiflorus という熱帯に分布するものもあるのですが、これは一年中咲く、とのことなので省略しました。

つまり葉や花序の大きさが「アメリカ」の方がやや大きい。また、花序の様子が違う、ということのようです。

私の写真だと花序は頂生だけど寝ている…葉っぱも大きい…。もう花おわっちゃったし、そうだ、「アメリカ」の写真を見ればすっきりするかな、とWebから出てきたのを見ました。うーん、「アメリカ」は確かに頂生でないから、これはヒトツバタゴでいいのかな…イマイチすっきりせず。

コネチカット大学のデータベースは木本が対象ですが、情報量が多くて他でもなかなか使えそう(ブックマークしました)。
下のはスウェーデンのDr. Eva Wallander によるもので、文献なども出ています。モクセイ科の専門家のようです。(サーバ行方不明 2007/07/31)


C. retusus

それで、こうなったらやっぱり実物見なくちゃ、Study Nature not Books! と神宮外苑に行ってみました。ここには由緒のあるなんじゃもんじゃ(在来のヒトツバタゴ)があるという事は知っていたのですが、今回初めてご対面。

結果:あれれ、葉っぱ随分違うじゃないの。この木のは小さくて厚い感じがします。あと、裏の茶色い毛が目立ちます(一応、葉をスキャナで読んだ写真もおいておきますので、よろしかったらどうぞ)。混迷を深める結果となったのでした。

でも、葉は環境や樹齢でかなり変わりますからねぇ。東京にも、まだ他の木があるらしいので、それに当たってみるのが正攻法でしょうね。あと、花がポイントなので、来春気をつけて確かめなくちゃ。

なお、この写真の木についてですが、串田孫一の「博物誌」(創文社 p. 96.)に次のようにあります。

未知の讀者からのお手紙により、明治神宮外苑のなんじゃもんじゃが枯れそうだというので見舞いに行った。植物醫でない僕にはなんとも診斷が下せないが、野球場の外の、素人野球の毬が飛び交う芝生に、全く邪魔もののように、痩せほそって立っている姿は氣の毒である。

この本は1955年初夏から56年の梅雨にかけて書かれたそうですが、現在は、ご覧の通り随分様子が違っています。上の写真にも写っている説明の看板によると、昭和53年(1978年)に今の場所(絵画館に向かって右側の柵の中)に移植されたとのことで、上記の「素人野球の毬が飛び交う芝生」が、以前に生えていた場所らしいのですが、事情はどうもこういうことのようです。

かつて、江戸の外れの青山に「六道の辻」と呼ばれる場所があって、そのそばに珍しい木が植えられていた。この木は、その場所にちなんで「六道木」とも呼ばれていた。明治になって、このあたりは錬兵場が作られ、それ以前の町や道はすっかり無くなってしまった。その後も、錬兵場が神宮外苑となるなど、周りにはいろいろ変化があった。しかしそういう中で、この木は珍木として大切にされ、初代、2代目と、今から25年位前までずっと同じ場所にあった…。

ここから約400m南と書いてありますが、どんな風景なのか、あらためて見てみたくなりました。それで、古い地図を見たり、いろいろ調べたところ、イチョウ並木が終わったところにある噴水と野球場の中間あたりのようです。現在はテニスコートになっていて、現地を踏むことはできませんでした。