「分類学」をめぐって−サカナの場合−
(@nifty「自然観察フォーラム」ログより)

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Last update: 2000/06/18

はじめに

このファイルは1999年5月6日から16日にかけて、@nifty 「自然観察フォーラム ffield」の10番会議室【水生生物の部屋】で交わされた議論(#01161からのスレッド、計43発言)がもとになっています。オリジナルのログは、ffield データライブラリ9番 #51にあります(DEEP003.LZH: 222KB)。

全体の見通しをよくするため、このうちの19発言を抜粋してHTML化しました。 発言者のniftyIDは削除してあります。また、発言の一部(あいさつ等)を省略したものもあります(発言タイトルに*がついてるもの)。 編集は、佐々木玄祐 (gen-yu@mtc.biglobe.ne.jp)が行っています(議論には参加しておりません)。

目次カッコ内は発言者のお名前(ハンドルネーム・敬称略)です。中心的に発言されている小西氏は、「釣りサンデー」社長として魚類図鑑の編集に携わってきた方です。その他ここに発言を採録しなかった方を含め、参加された各氏、および転載を許可いただいた自然観察フォーラム ffieldに感謝いたします。

「分類学」に興味をもっていただく機会となれば幸いです。


目次

  1. ハゼの仲間の見分け方 (甲太郎, 小西英人)
  2. 分類学の限界 (甲太郎, 小西英人)
  3. 標準和名と学名 (ひめあまつばめ, 小西英人)
  4. オーストラリアキチヌ (ひめあまつばめ, 小西英人)
  5. 雑種起源による種分化 (田中一雄, 小西英人)
  6. 努力しましょう (イワキ,小西英人)

ハゼの仲間の見分け方


#01161  甲太郎           ハゼの仲間の見分け方

甲太郎です.教えていただきたいことがあります.

河川に住むハゼの仲間の区別点を知りたいのですが,何か良い参考書が
あったら教えてください.岐阜県限定ですので,次の種が対象です.
「岐阜県の動物」(1974)による
チチブ
ヨシノボリ
カワヨシノボリ
マハゼ
ビリンゴ
ボウズハゼ

なんだそれなら簡単じゃないかという方もおられるかも知れませんが,
実は私は魚のことはまったく知りません(^^;).5月13日までに
見分け方の手引きのような物を作らないといけないのですが・・・o(T_T)o

                        甲太郎

#01167  小西 英人    ハゼ>『日本の淡水魚』がいいのでは (Re:#01165) *

 甲太郎さん、はじめまして。

 はじめから読んでおりまして、よほどおっしゃる魚の「キー」を書こうかとも悩ん
でいたのですが、この類、見分けが難しいのと、おっしゃる魚が広いので、それで「
キー」を示しても、意味がないと思われます。

 また、ヨシノボリ属 Rhinogobius は、変異が多く、議論が分かれていて、図鑑
によって、かなり違うものになっています。

 やはり、きちんと同定されるのならば、『日本産魚類検索』しかありません。

 とりあえず、同定するのならば、『新さかな大図鑑』より、山と渓谷社の山渓カラ
ー名鑑『日本の淡水魚』4757円がいいと思います。

 うちの図鑑は、海水魚は強いのですが、淡水魚は、ちょっと弱いです。ちょっと、
いま手元に『日本の淡水魚』がないので、最新情報が、どこまで入っているか確認は
できません(ハゼ類、日進月歩ですから、古くなっている可能性があります)が、こ
の淡水魚図鑑は名著であり、持っていて損はしません。

                              英人

#01177  小西 英人    ハゼ>ヨシノボリについて… (Re:#01174) *

 ヨシノボリ属など、まったく知らないのですけど、ちょこっと補足させて下さい。

 『日本産魚類検索・第2刷』(中坊、1995)の標準和名と学名に従えば、いい
と思います。

 ヨシノボリですが、いま、これはなくなっています。

 シマヨシノボリ(横斑型)
 オオヨシノボリ(黒色大型)
 ヒラヨシノボリ(南黒色大型)
 ルリヨシノボリ(るり型)
 クロヨシノボリ(黒色型)
 アヤヨシノボリ(モザイク型)
 トウヨシノボリ(橙色型)
 アオバラヨシノボリ(中卵型・腹部がるり色のもの)
 キバラヨシノボリ(中卵型・腹部が黄色のもの)

 に、標準和名では「とりあえず」わけられています。

 学名はすべて Rhinogobius sp. です。この学名は、「ヨシノボリ属の1種」と
いう意味であり、学名としては、意味をなしません。いわゆる「名無しのごんべ」で
す。

 『日本産魚類検索』の注記で、ヨシノボリ属の学名と標準和名は『日本の淡水魚』
に従ったとなっていますので、『日本の淡水魚』が、こうなっているのでしょう。(
いま、手元にないので確認できません。すみません)

 上のように分けられて、なおかつ、雌雄型がありますから、ヨシノボリ属は、ほん
と、一筋縄ではいきません。

 ただ、このように分けられると言うのは、生態学的にも違いがあるわけで、棲み分
けているのですから、詳しい人ならば、その生息状況からも、簡単に分けられるのだ
とは思います。

 また、一種の「生物指標」として、見ていきたいのなら、分けておく必要はあると
思います。

 まあ、おたくといわれる分類屋の世界の中でも、別格の「おたく」といわれるのが
、「淡水魚」の世界と「ハゼ」の世界であり、ヨシノボリ属など別格「おたく」度の
二乗という世界でありますので、ややこしいです。

 この辺の、標準和名と学名さえ、きっちりとされる日は、来ないのではないかとさ
え思います。それほど、やはり、難しい世界ではあります。

                              英人
目次

分類学の限界


#01186  甲太郎           Re:ハゼ>ヨシノボリについて… (Re:#01177)

 #01177 小西 英人さん,こんばんは

ありがとうございます.FFISHTも拝見しました.
私は魚がてんでわからないので,そっと後ずさりして出て来ましたが(^^;).

それにしても一応それなりに取り扱いがあるようですが,ヨシノボリのそれぞれが
正式に記載されないのは,なぜなんでしょうか.やはり研究者が多くて
互いが牽制し合って論文がでないのでしょうか.昆虫と違って研究者が多くないので
意見の調整が着くまで記載されないような風習があるんでしょうか.
記載がされるだけでずいぶんすっきりするような気がしますが.
アマチュアにとっては不幸な話です.

またよろしくお願いします,

                         甲太郎

#01187  小西 英人    ハゼ>分類学の限界 (Re:#01186)

 はじめに、ぼくは、生物学を勉強したこともないし、専門家ではないことを断って
おきますね。魚類図鑑を必死でつくるうちに習わぬ経を覚えて、唱えているだけなの
です。

 甲太郎さん。分類学の専門研究者の数で言えば、日本の中で、魚類はダントツに多
いです。魚類は3700種ほどですから。世界でみても、多くて40000種くらい
だと思われます。昆虫は対象が多く無茶苦茶広いのに専門研究者が少なく、その分、
アマチュアがカバーしたりしているようですね。

 だから、意見の調整をするようなことはありません。もちろん競争はあり、情報交
換はして、かなり真剣な駆け引きもありますが、それらは、あらゆる研究につきもの
のことです。

 淡水魚には、大先生がいて、ちょっと意見を言いづらいという、そういう雰囲気が
、魚類の中でも、ないでもなかったですが、その辺も、このごろ若手研究者の台頭で
、消えつつあるようです。

 ま、いろいろ、あるのでしょうが、原則的には、ほんとうに「難しい」のです。

 なぜ難しいか、ということを書こうと思えば「種とは何か」という、生物学の大命
題に触れることになるので、説明も、かなり長くなってしまいます。

 いまの生物学では「種」を定義できません。研究者は、ひじょうに困っています。
困っているだけでは、どうしようもないので、E.W.マイア(1940,1969)による「生
物学的種概念」で、とりあえずやっつけちゃおうということになっています。

 マイアの生物学的種概念の一部を、簡単に引用します。

 同所的に分布する集団が自然条件下で交配し、子孫を残すならば、それは同種と見
なされ、もし両者間で遺伝子の交配が起こらず生殖的に隔離されているならば、異種
に属すると判断される。(岩波生物学辞典・第4版より引用)

 これしかないのですものね。よりどころらしきものは。

 生殖的な隔離など、淡水魚で、人工下におくと、どんどんなくなりますし、あるか
、ないかは、最終的には「勘」の世界になります。

 その「勘」も、非常に微妙な、形態学的、解剖学的、骨学的な差異に支えられ、最
終的には遺伝子の直接解析をしたりしても、答えは出ない方が多いのです。

 それに、形態学的、解剖学的、生態学的、行動学的に差異がないのに、遺伝子だけ
違ったりしても、それには、どういう意味があるのかなんてことが起こったりもしま
す。

 さまざまな難題をかき分けて、さて、記載しようかということになって、はたと困
るのが、学名の扱いです。

 いまの学名、2名法というのは、スウェーデンの大植物学者、カール フォン リ
ンネが提唱して定着しました。動物学名は、リンネの「自然の体系 第十版 1758年
」(Systema Nature,10th Edition,1758)から始まります。

 1758年以後のすべての文献をあたり、標本を精査して、生かさなければいけな
い学名は、それを有効にして、記載がないのならば、新種記載をするのですが、なん
せ241年前からのもの「すべて」ですから、「標本」があったりなかったりするの
です。昔は絵による原記載も認められていましたから、絵であったり、昔は複数標本
による記載も認められており、その複数標本に異種が混じっていたり、標本の状態が
悪かったり、ベルリン博物館の標本は第2次世界大戦で焼けてローストになっていた
り、苦労して標本をつきとめても、あと、なかなか進まないのです。ただでさえ微妙
な違いで分けているのに、標本があっても、途方にくれたりするのです。

 目をつぶって、えいやと、記載すればいい、それの批判から、また進むからという
声もないでもないですが、やはり、研究の当事者になると、そんなこともできないで
しょうし…。

 進まないのです。議論は活発にできても…。

 魚類学会でも、何度も何度も、問題になっていますし、特に淡水魚の「名無しのご
んべ」問題は、魚類学会のシンポジウムで糾弾されたこともあります。

 魚類学会内のムードとして、標準和名は、関知しないというのがあります。誰も決
めないし、何の規約もないのです。自然な流れの中で定められていきます。だから、
標準和名に意味はありません。すべて学名です。これは、まあ、あらゆる分類群でそ
うなのでしょうが。

 そうすれば、学名が「名無しのごんべ」ならば、学問上、実体はないということに
なります。

 困ったもんですね。

 でも、ほんと、原則的には、「種とはなにか」という大命題にこたえの出せない現
代生物学の限界だと思います。また、それだけ分類学は最先端を走っているとも思う
のです。

 このまえ、ある分類屋さんたちと、飲んでいて…。

 「種なんて、生物学的な常識によってしか決められないような」

 「常識ってなんでんねん。それが、サイエンスちゅうもんでっかと、詰問されたら
、ごめん、その通り、常識など駄目だよね、そうすれば種はなくなるから、すべてを
消しまひょ」

 「種なんか、ないんだよなあ。ほんまは」

 などなど、騒いでいました。

 ことほどさように難しいということで…。            英人

ps
 長くなりましたが、研究者の怠慢ではないし、アマチュアの不幸でもないのです。
いや、アマチュアの幸福かもしれません、と言いたかったのです。それだけです。ご
めん。ただ、社会の混乱は招いてしまいますよねえ…。

#01197  甲太郎           Re:ハゼ>分類学の限界 (Re:#01187)

 #01187 小西 英人さん,こんばんは

> 甲太郎さん。分類学の専門研究者の数で言えば、日本の中で、魚類はダントツに多
>いです。魚類は3700種ほどですから。世界でみても、多くて40000種くらい
>だと思われます。昆虫は対象が多く無茶苦茶広いのに専門研究者が少なく、その分、
>アマチュアがカバーしたりしているようですね。

そうなんですか.意外でした.自分の知らない世界です(^^;)

魚の「種」は難しいのですね.昆虫の場合は害虫などを除いて飼育したりする
ことが少ないので,変な話ですが分類がすんなり行くのかも知れませんヾ(^^;;.

分類の手続きは,少々やっかいですがZoologicalRecordが頼みですね.
typeが紛失したり総模式標本が複数の種からなる場合には後模式標本や新模式標本
を指定すればいいのですが,

> 魚類学会内のムードとして、標準和名は、関知しないというのがあります。誰も決
>めないし、何の規約もないのです。自然な流れの中で定められていきます。だから、
>標準和名に意味はありません。すべて学名です。これは、まあ、あらゆる分類群でそ
>うなのでしょうが。

学名は学問の進展につれて変化しますので,昆虫の世界では,和名はそういったものに
左右されないで特定の種を指示する名前として重宝がられています.これもアマチュア
サイエンス故でしょうが.コロコロ学名が替わると,和名というのは実にありがたい
ものです.もっとも魚の場合,生活に関わるだけあって方言名が多すぎますね.

> でも、ほんと、原則的には、「種とはなにか」という大命題にこたえの出せない現
>代生物学の限界だと思います。また、それだけ分類学は最先端を走っているとも思う
>のです。

「種」という実体は存在しない.ただある系統の時間断面をとって種と名付けている
んだというような趣旨の話を聞いてなるほどと思いました.種○○と私たちが
呼んでいるものも刻々と変化しているのでしょうね.しかし名前はなきゃ
不便です(。_゚)☆\BAKI!

                       甲太郎←これも名前
目次

標準和名と学名



#01193  ひめあまつばめ   RE:ハゼ>分類学の限界 (Re:#01187) *

 標準和名の件ですが、分類学の専門研究者では無い一般の、つまり、私
のような素人の場合は標準和名にこだわってしまいます。友人同士で話を
する時には標準和名の無い魚を除いて学名で話をする事は滅多に無いです
し、子供に魚の名前を教えるのにも学名は使いませんから。また、俗称や
地方名等を使ってしまうとどうしても話の通じないことがありますのでや
っぱり共通語?として標準和名は必要だと思ってます。実際、図鑑によっ
ても勝手に名前を付けてしまっているパターンもあり、その人の持ってる
図鑑によって呼び方が違ってたりという混乱も発生しています。
#でも、写真が綺麗だし解説が面白いからその図鑑買っちゃいましたが(笑)

ではでは

        ひめあまつばめ 

#01198  小西 英人    分類>標準和名と学名 (Re:#01193)

 ひめあまつばめさん。

 ぼくの言い方が悪かったようです。

 研究者も、標準和名は、ひじょうに大事にしますよ。ひめあまつばめさんのおっし
ゃるように、社会との架け橋の名前になりますから…。

 また、学名が「名無しのごんべ」の場合は、標準和名に代役を担ってもらわなけれ
ばいけないこともあります。

 魚名の場合、標準和名より、地方名や、通称の方が強くて、それに対応する標準和
名をしらないと、とても変なことになります。間違えまくっている「本」がたくさん
あります。とくに、東京の魚名も地方名に過ぎないのに、東京の言葉は「標準語」に
違いないと思いこんでいる人が多く、東京の出版物やマスコミに混乱が多いようです
。

 標準和名の成立に「慣習法」のようなものを認めていっても、条文化はしないとい
うのが、魚類研究者の一般的な立場でしょう。

 ここで、よく、普通の人や、マスコミが間違うのは、標準和名と、学名は、まった
く違うのです。

 標準和名とは、ある「種」のグループを集団として、幅を持って表現します。

 学名とは、ある、ひとつの「標本」の名前なのです。それ以外には名前をつけられ
ないのです。「同定」とは、厳密に言えば、世界でただ一つの、その「標本」と、同
じと違うのかなあと「考える」ことを言います。この、ひとつの「標本」の名前の付
け方というのは、国際動物命名規約(ICZN,1985  International Code of Zoological
 Nomenclature)で厳密に定められます。いまは1985年に出版された第三版であり
、第四版が、もうすぐ定められると思います。残念ながら第三版は和訳されていませ
ん。第二版は北隆館で和訳が出版されていますが、重大な誤訳があると批判されてい
るようです。

 このように、性格が違うから、標準和名を規定することが難しくなるのです。厳密
に規定しようとすると、学名と同じになるのです。

 この辺の、学名と標準和名の問題は難しくて、過去に、FFISHTのさかな会議
室でかなり論議していますから、なんでしたら、見て下さい。かなり長くなり、答え
のでない問題です。

 とにかく、「標準和名」は重要だけど、規定がないのです。

 そう、言われたら、困りますよね。社会は。

 ふつうには、何を標準にしたらいいのか?

 魚類で言えば、いちばん新しくて、日本産全種が載っている「魚類図鑑」の標準和
名を基準にしたらいいのです。

 いまなら『日本産魚類検索』(中坊徹次編 東海大学出版会 第2刷 1995年
)になります。

 いま、主要な魚類学論文でも、文献に NAKABO,1993 か NAKABO,1995 とあげて
いることが多いのです。1993は初刷りの年です。なぜ、これをあげるのかといえ
ば、学名と標準和名の混乱をふせぐためです。

 学名も研究者が「考え」たらいいのであって、その考えが、間違えているか、間違
えていないかは、国際動物命名規約も関知しません。そんなこんなで「考え」方は多
数あり、学名も違う場合が、往々にしてあるのです。そのために、何かの分類群を研
究して書く場合、とりあえず、NAKABO,1995 で、その「もの」を提示しておくのです
。

 まあ、厳密な話はおいておいて、社会が「標準和名」を知りたいのなら、この図鑑
を見るといいでしょう。

 研究者も、標準和名が混乱しないように、ひじょうに努力はしています。そのため
に、ある研究者の提唱した標準和名を無視したりということもあるのです。それがま
た、混乱を招いたりするのですが…。

 いまは、慣習として、標準和名の提唱は、きっちりとした図鑑、もしくは、雑誌(
この雑誌にいいのがなく、魚類学雑誌の和文誌では、新称提唱くらいは扱ってくれな
いような感じです。いま、IOPニュースというのが、新称提唱の雑誌になっていま
す)で、標本を示して、命名理由も明記して、きっちりやりましょうというようにな
ってきています。

 ぼくのつくった『新さかな大図鑑』でいえば、タイリクスズキ Lateolablax sp.
 を提唱しました。これは外来種ですから、標準和名をつけるかどうか、議論の分か
れるところですが、なぜつけたかを、中坊さんは明記して、標本も、成魚と、幼魚の
標本ナンバーを明示して、新称提唱をしました。あとあと、英語論文でも、この標準
和名が引用できるように『新さかな大図鑑』の英文タイトルも奥付に入れてあります
。

 こうして、新称提唱して、それを、みんなが受け入れるかどうかは、分かりません
。

 標準和名とは、1種の「業界スタンダード」なのです。

                                英人

#01207  ひめあまつばめ   RE:分類>標準和名と学名 (Re:#01198) *

 こんばんは!小西 英人さん。
 
 標準和名の件、FFISHTの1997年のログを拝見させて頂きました。
時代の流れに合わせてあまりごっそり変更されたり、一定期間ごとに変更
されちゃ困りますけどね?個人的には。(笑)
また、学名と標準和名に関しては、学名は基準標本(化石とかも入るんで
したっけ?)との比較、つまり完璧な形態種であって、マイア言うところ
の種に近い分類が出来そうなのは、自由度の高い?標準和名の方じゃない
かと素人目には思ってしまいます。だって標本じゃ生殖的隔離の問題って
判らないと思うんです。まあ、昔の標本で絶滅種なのか実は雑種崩壊(
hybrid breakdown)だったのかなんて事になるとどっちにしても同じです
けど。形態には同じだけど違う種って淡水魚だとありえそうな気もするし。
自分でも考えがまとまらないです。でも、標準和名って便利だと思う。な
んでもかんでも○○sp.じゃ味気ないもの。(笑)

        ひめあまつばめ 

#01209  小西 英人    分類>標準和名>やはり野におけ… (Re:#01207)

 ひめあまつばめさん。学名の標本は「生物痕跡」まではいります。足跡化石とか、
現生種でも、一昔前までは、たとえば昆虫の繭とかもタイプにはなったのです。ホロ
タイプの考え方の規定は厳密にありますけど、ホロタイプは、こんなものでなければ
ならないという規定はありません。学名とは、そういうものなのです。

 国際動物命名規約の第2版は、どちらにしても古いので、ただの参考にしかなりま
せん。『国際動物命名規約提要』(渡辺千尚 文一総合出版)これは第3版の解説書
ですが、これで、十分だと思います。ぼくも、これで勉強しました。それでもわから
ないことは、分類屋に「なんでなんで」攻撃をしかけて、嫌がられながら覚えました
。

 なんといえばいいのかなあ、自由度の高い標準和名で、自由度の高い表現をしてい
けばいいというのは、研究者も、みんな、持っている気持ちだと思います。ただし、
自由度の高い分、制限をいれられないので、曖昧に扱い、その分、気をつけましょう
ねということと、学名とは峻別するという立場もあるということだけなのです。

 それも、魚類学会の内部が、すべてそうでもありません。魚類学会で魚名の話があ
ったときなど、あとの懇親会では、あちこちで、研究者たちの激高した声が聞こえて
きます。ことほどさように難しく、また熱くなり、結論が出ない問題なのです。

 これは魚類学会だけの問題であり、事情は、それぞれの動物分類群によって違いま
す。その分類群の学会によっては、和名委員会のようなものをつくって、標準和名を
管理しているところもあります。でも、魚類学会では、そうはならないでしょう。

 ぼくは、標準和名を無視しようといっているのではないのです。

 やはり野におけ「標準和名」

 といったところでしょうか。              英人
ps
 オーストラリアキチヌを、『日本の海水魚』で、数語の注記だけで、オキナワキチ
ヌという和名提唱しちゃう赤崎正人大先生。困ったもんだなあ、無視しちゃわなけれ
ばなあ、こんど会ったときに聞いてみるかなあ、虎の尾を踏むのもなんだしなあ、知
らんぷりして無視しちゃおう。なんて、いろいろ考えていたら、お亡くなりになりま
した。体調を崩されているとは、風の便りに、お聞きしていましたけど…。

 まだ、世界中の標本を見ることの難しかった時代に、世界中のタイ科を研究した分
類屋さんです。ご冥福をお祈りいたします。

#01211  ひめあまつばめ   RE:分類>標準和名>やはり野におけ… (Re:#01209)

 こんばんは!小西 英人さん。
 
 「生物痕跡」まで学名を担うホロタイプに含まれるんですね?うーん、
勉強になる。足跡化石なんか同定する相手が足跡化石じゃ無いと同定でき
ないんだろうか?やはり、形態学的形質に加えて生態学的形質、地理的形
質とかで判断するのだろうか?...いっぱい疑問が湧いてきます。

 私も『国際動物命名規約提要』(渡辺千尚 文一総合出版)の方が親し
み易かったので、小西 英人さんもこれで勉強されたと聞いて安心しまし
た。原文の方が良いのは判ってるんですが英語や仏語だとやはり基礎知識
が無いと取っつき難いです。身近に分類屋さんもいないし。
#でも、分類学ってすっごく深いですね?その深淵まで降りて行くと苦痛
#を伴う哲学のような気がします。私にとっては底って言うか先が見えない
#学問の一つです。

>  なんといえばいいのかなあ、自由度の高い標準和名で、自由度の高い表現をしてい
> けばいいというのは、研究者も、みんな、持っている気持ちだと思います。ただし、
> 自由度の高い分、制限をいれられないので、曖昧に扱い、その分、気をつけましょう
> ねということと、学名とは峻別するという立場もあるということだけなのです。

 ですね?自由度が高いのは、そういったリスクも含んでいますので扱い
には気を付けないと研究者に見向きもされなくなる危険もはらんでいると
思います。そうなると、社会との架け橋の危機ですね?簡単には、結論が
出ない問題の1つである気がします。
 
>  やはり野におけ「標準和名」
>
>  といったところでしょうか。              英人

 御意。
 
 オキナワキチヌと言えば、「若干の差異につき現在検討中」とありまし
たが、これって結局どうなったのでしょうか?赤崎正人大先生って、「日
本の淡水魚」(山と渓谷社)も著書に入ってると書いてありましたが世界
中のタイ科を研究した分類屋さんでしたか。
ご冥福をお祈りいたします。

ではでは

        ひめあまつばめ 
目次

オーストラリアキチヌ



#01212  小西 英人    分類>オーストラリアキチヌ (Re:#01211)

 ひめあまつばめさん。

 オーストラリアキチヌ Acanthopagrus australis は、1984年に『日本産魚
類大図鑑』で、赤崎正人さんが、ミナミクロダイ Acanthopagrus sivicolus を2
種に分離し、一方を、オーストラリアにいる、Acanthopagrus australis と同じだ
として、新称オーストラリアキチヌを提唱したのです。

 ミナミクロダイと極めて類似するが、腹鰭と臀鰭が黄色であることと臀鰭第2棘が
長い点で異なるとして。

 たしかにミナミクロダイはふたつに分離できるのですけど、差は、とても微妙です
。オーストラリアキチヌの差異を外観であげますと。

 体色が白っぽい。(黒っぽいのもいる)
 臀鰭中央が黄色い。(黄色くないのもいる)
 腹鰭と臀鰭が淡色である。(淡色でないのもいる)
 尾鰭後縁が黒い。(全体に黒いのもいる)
 背鰭縁辺が黒い。(黒くないのもいる)

 ということで、何とか分けられます。臀鰭第2棘が長いというのは間違いです。こ
れはクロダイ属全般に長く、長くない個体変異もあります。

 おわかりのように、こんなもんで、キーにはなりません。それでも、慣れると複合
的な判断で、分けることは可能です。ぼくも、たぶん、ミナミクロダイとは別種だと
思っています。ぼくは、沖縄のは実物は見たことないけど、香港で採集してきました
。

 またオーストラリアには、3種のクロダイ属がいることになっていて、その中の1
種が、Acanthopagrus australis なのですが、これが、また、微妙に違いがあって
、ほんとうに3種なのかと疑問があります。微妙な違いといっても、ミナミクロダイ
と、オーストラリアキチヌの違いより、大きいかもしれません。タイ科魚類全般に言
えるのですが、表徴形質が少なく、難しい分類群になります。

 それで、赤崎のオーストラリアキチヌには、疑問が投げかけられていました。

 そういう中で、『日本の海水魚』(1997円)で、「若干の差異につき現在検討
中である」との注記だけで、「オキナワキチヌ」を新称提唱して、学名を Acanthop
agrus sp. にしてしまったのです。

 困ります。

 若干の差異につき検討中くらいで、標準和名を提唱していたら、せっかく、野にあ
りながらも整理されつつある魚類の標準和名が、混乱してしまいます。すべての研究
者が、自分の抱えている分類群の「若干の差異につき検討中」だからと標準和名を提
唱すると、日本全国、標準和名だらけになります。

 種とは、安定していません。すべての魚類研究者が抱えている、未記載種(学名が
ない)、日本初記録種(ということは学名はあっても標準和名がない)なんて、どれ
くらいの数があるか分からないほどあります。

 それで、「オキナワキチヌ」はどうなったのかという、ご質問ですけど、標準和名
は、魚類図鑑の編者の判断になります。次にでる魚類図鑑が、どういう反応を示すか
と言うことで、定着していくのです。

 ぼくは、無視します。きちんと決着がつくまで、オーストラリアキチヌの標準和名
を使います。ただし、ぼくは、アマチュアですから、ぼくの判断というのは、まった
く意味がありません。

 これから出る魚類図鑑の編者の、それぞれの判断まで、ぼくは分かりません。そう
いう意味では、標準和名は、どうもならないのです。

 たとえば、同じ『日本の海水魚』のアライソハタの新称提唱はきれいです。じつは
、ぼくも、このアライソハタを父島で採集していて、新称提唱ができるなと考えてい
たのです。そのときに瀬能さんが、提唱しはりまして、あちゃあです。

 まあ、ランドールが標準和名なしで日本産を報告していたから、誰でも、新称提唱
はできたのですが…。

 どちらにしても、瀬能さんのように、はっきりと明示して新称提唱された標準和名
は、安定させるべきで、ぼくも、雑誌とか新聞とかに、日本のハタ類に新顔登場と、
いろいろ書いたものです。

 ぼくは、オーストラリアキチヌという標準和名については、以上のように考えてい
ます。長くなってごめん。

                              英人

#01216  ひめあまつばめ   RE:分類>オーストラリアキチヌ (Re:#01212)

 こんにちは!小西 英人さん。色々教えて頂きありがとうございます。
 
 オーストラリアキチヌとオキナワキチヌの件は、『日本産魚類検索(全
種の同定)』(中坊徹次編 東海大学出版会 第2刷 1995年)の分
類学的付記P1327にそれを匂わす事が書いてありますね?沖縄産の標本(1
0個体)とオーストラリア産のAcanthopagus australisと同定できる標本
と比較して、
 ・臀鰭第2棘長/頭長比
 ・頭部の外形態
 ・背鰭・尾鰭・体側・前鰓蓋部などの斑紋
に差異が認められたって。
もしかして、この後、分類学的再検討の途中でオキナワキチヌという和名
提唱しちゃったのでしょうか?それなら私も小西 英人さんと同様の意見
です。それだところころ変わる可能性があるし、そんな感じで和名提唱さ
れちゃうとその他にも多くある再検討中の種が......混乱する事が目に見
えてます。毎年、標準和名が変わっちゃたりしたら困るし、図鑑買う度に
名前が違ってたりしてたら困りますもん。
また、『日本産魚類検索(全種の同定)』に掲載の全形図は、沖縄県産の
もの、つまり赤崎正人大先生のおっしゃる所のオキナワキチヌが掲載され
ているようですね。

 オーストラリアキチヌとミナミクロダイの件は、『日本産魚類検索(全
種の同定)』では、
 ・腹鰭と臀鰭が黄色(生時)、固定後、乳白色(オーストラリアキチヌ)
 ・腹鰭と臀鰭が暗灰色(生時)、固定後、淡灰色(ミナミクロダイ)
 ・頭長は臀鰭第2棘長さの1.5〜1.8倍(オーストラリアキチヌ)
 ・頭長は臀鰭第2棘長さの2.0〜2.1倍(ミナミクロダイ)
 ・側線鱗数は44-47(オーストラリアキチヌ)
 ・側線鱗数は46-52(ミナミクロダイ)
が分類形質になってますね?水中で見て判るのは腹鰭と臀鰭の色、写真を
撮って臀鰭第2棘長と頭長の比率、旨く写真が撮れて側線鱗数って所です
ね?
私は見たこと無いですけど。
#でも、これってオキナワキチヌって言うかオーストラリアキチヌ(沖縄
#型)との比較ですよね?うーん、紛らわしい。

標準和名に関しては、現在の所、
・『日本産魚類検索(全種の同定)』
・『日本産魚類生態大図鑑』(個人的に修正してます)
・IOPニュース
を私は、あてにしてます。

ではでは

        ひめあまつばめ 
目次

雑種起源による種分化



#01208  田中一雄         RE:分類>標準和名と学名 (Re:#01198)

小西英人さん こんにちわ 初めまして田中一雄と申します

 小西さんの分類に関するご発言は分類学の根幹に触れていると感じ、
大変興味をひかれ門外漢ではありますが、コメントさして頂きました。

 私はアマチュアですが、神奈川県の箱根外輪山外郭を地域的に限定し
て約15年ほど前からシダ植物の分布と遷移の観察を続けています。

 種が同定できないと分布も遷移も解りませんので、シダ植物分類に関
して勉強をしているのですが、今もってよく解らない事が多いのです。
形態的に全く他と差異のある種は問題が無いのですが、形態的に似てい
る近縁種については、原記載を読んでも明らかな差異点が具体的羅列で
記載がなされていない(変異が多すぎて記述できない?)ために、個人
の職人的な認識技術が必要になり、識別基準の普遍性が欠けているので
す。はたして記載されている種に該当するのか常に不安がつきまといま
す。

 >>それに、形態学的、解剖学的、生態学的、行動学的に差異がないの
 >>に、遺伝子だけ違ったりしても、それには、どういう意味があるの
  >>かなんてことが起こったりもします。

 この問題にも突き当たります。最近、シダ植物でもご多分にもれず染
色体分析がほとんどの種に行われています。形態の差よりも染色体変異
の大きさが種を決める基準の風潮を感じます。形態と生態が違っていて
も染色体的には同種、形態での差異が無くても染色体的には異種になっ
てしまいます。そうすると、アマチュアでは種の同定がほとんど不可能
になってしまいます。

 >>学名とは、ある、ひとつの「標本」の名前なのです。それ以外には
  >>名前をつけられないのです。「同定」とは、厳密に言えば、世界で
  >>ただ一つの、その「標本」と、同じと違うのかなあと「考える」こ
  >>とを言います。

 おっしゃる通りだと思います。しかし、標本以外には標本と同じ物はあ
りませんので、どの辺までが標本の変化範囲と考えるかによって種を認識
するより仕方がないのですが、あまりに狭く考えると百鬼夜行の世界に入
ってしまいます。また、あまり広く考えると、分類の面白さが無くなって
しまいます。
 シダ植物の場合はあまりにも個体変化が甚だしいので、厳密に考えれば
全ての株に名前を付けなければならないほどです。そこで、変化範囲を決
める職人的技術が必要になるわけです。
 シダ学者は狭い範囲の研究者が多いこともあって、アマチュアから同定
を依頼されるのをあまり好まない傾向も見られます。
 形態的な分類学は時代遅れなのだそうで、教える方も教わる方も今はほ
とんど居ないそうです。私は形態的分類が基本のように思えるのですが…。
やっぱり古いのでしょうか。


 甲太郎さんのコメントのように

 >>「種」という実体は存在しない.ただある系統の時間断面をとって
  >>種と名付けているんだというような趣旨の話を聞いてなるほどと思
  >>いました.しかし名前はなきゃ不便です

 現時間断面での名前でも記載が無ければ、その物が無いのと同じなの
で、生態的、形態的、色彩的、解剖学的、行動学的等外観の差によって
分類し、染色体的差異は種内変異として種に収斂して行き、外観的差異
が明確に認識されたら種に昇格させ、先ず外観ありき、だったらアマチ
ュアとしては解りやすいのですが…。あまりにも幅が広くなり過ぎるで
しょうか?。分類とは誰のためにあるのでしょうね。
 
 >>いまの生物学では「種」を定義できません。

 困りましたネ。

 素人のボヤキでした、お許し下さい。

                                       田中一雄 May/14/1999

 私は魚を見るのも、釣るのも、食べるのも好きです。

#01210  小西 英人    分類>形態学的分類学 (Re:#01208)

 田中さん。ぼくもアマチュア、というより、ただの魚好きなので、田中さんのおっ
しゃること、痛いほど分かります。

 ぼくも、形態学で分類できないものに、いかような意味があるのかと、基本的には
思います。ただ、純粋な、形態学だけで議論する難しさも感じます。

 形態は、重要であり、基本ではあると思いますけど、残念ながら、それだけで議論
はできなくなってしまいました。

 それに、ぼく植物分類は、まったく知らないのですけど、あれほど育種が進んでし
まい、そのうえに自然倍数体まで存在するような、ややこしい世界で、学名をつけな
ければいけないのは、呆然としてしまうなあという感じがあります。植物学名は、動
物学名から見たら特殊でおそろしい…。

 魚類でも、近年、その「ややこしさ」が進入しつつあり、困ってしまいます。(ま
あ、ぼくは、ただの魚好きですから、困った顔をして、困っている研究者を眺めてお
もしろがっているといった方が実情にちかいでしょうが…)

 シダ植物に自然倍数体が存在するかどうか、まったく知らないのですけど、魚類学
会のシンポジウムで、ぼくの書いた記事を転載しておきましょう。

                                 英人
ps
 ややこしいことばかり、書いて、みなさん怒らないで下さいね。

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■交雑によって種は進化する!?
■日本魚類学会年会で熱い議論



魚類の自然界における交雑は進化に関係ないとされてきた分類学上の常識
今年の日本魚類学会年会シンポでその常識にクエスチョンマークがついた

■週刊釣りサンデー1997年11月9日号より転載
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 かつて「ながさきいしだい」とか「おしょろがれい」とかいう魚が報告された。イ
シダイとイシガキダイの自然交雑魚が前者、イシガレイとヌマガレイの自然交雑魚が
後者であって、研究者が「種」とまちがえ名前をつけたのだけれど、もちろん交雑魚
に名前はない。
 自然界で、交雑というのは、まれなケースで、もし交雑しても、それは子孫を残せ
なくなる一代限りのもの、「種全体」には何の関係もないというのが生物学の常識で
ある。だから和名もつけないし、生物学上もっとも重要で国際動物命名規約という厳
密な「国際法」にしばられる学名では、わざわざ、交雑したものには名前はつけない
と明記されている。
 ところが、そういう「常識」が通用しなくなり、ひょっとして交雑によっても種は
進化しているのかもしれない、教科書は全面的に書き直さなければいけないかもしれ
ない、というようなホットな話が、今年の魚類学会のシンポジウムであった。
 1997年度の日本魚類学会年会が10月10日から14日まで、神奈川県の横須賀市自
然博物館で開かれた。
 このうち研究発表は11日から三日間、分類を主にした第1会場と、生態を主にした
第2会場にわかれて、15分づつ、次々に発表されていった。
 年会の分類会場の方の全体の流れとしては、DNAをつかった類縁関係の推定など
の研究がやはり多かったが、去年の年会のように、DNA万能主義という感じは消え
かけていて、DNAを慎重に扱っていたり、また単純にDNAだけの発表には、批判
がでていた。
 分類にとってDNA解析は、うまく使えば切り札にはなるが分析のためのひとつの
道具にすぎず、やはり骨学などを中心にした形態学があって、それを生態学、行動学
、集団遺伝学(これがDNAの解析を扱う)などの、さまざまな側面から検証して、
魚類の進化史を解き明かしていかなくてはいけないという感じが強くなっていた。
 進化学でいう相同なのか、相似なのか、つまり、姉妹なのか他人のそら似なのか、
こういうのはなかなか数値化できるものではなく、研究者のセンスと勘が重要で、や
やこしそうなDNAでも人の勘が重要なのだ。
 そういうところで、釣り人や漁師の持っている情報や知見は最先端の研究者にとっ
ても貴重であり、さまざまな協力関係を持っていきたいと思う。
 今年の年会のもうひとつの特徴としては、ニフティサーブの釣りフォーラムやダイ
ビングフォーラムで活躍しているメンバーを中心に、釣り人や、ダイバーといったア
マチュアの参加が見られるようになってきたことで、魚類学会に厚みがでていくだろ
うと楽しみにしている。
 年会の最終日はふたつのシンポジウムが開かれた。ひとつが「ヨシノボリ類を中心
とした両側回遊性淡水魚の生態と進化」もうひとつが冒頭に書いた「交雑による魚類
の進化」だ。
 近年のDNA解析技術の精度のアップで、魚類の遺伝学的情報が増えているのだが
、そのなかで、特に淡水魚は、交雑で遺伝的多様性を増幅し、あるいは直接交雑で種
分化してきた可能性がでてきているのだ。
 シンポジウムの中からギンブナだけを例に簡単に書こう。
 雌性発生(雌だけの単性生殖で発生すること)の起源は種間交雑である。交雑した
卵が非減数分裂をして精子を排除すると2倍体の雑種。これが精子を受け入れると3
倍体になり、精子を排除すると3倍体雑種。これが精子を受け入れると4倍体になり
、精子を排除すると4倍体雑種になる。雑種による自然倍数体の魚が存在するのだ。
 雌性発生で有名なギンブナとは、どうやらこのなかの3倍体種のことで、日本在来
の2倍体(これが普通)種、キンブナ、オオキンブナなどと、あと大陸由来の2倍体
種などとの雑種で起源しているらしということが分かってきた。こういう自然倍数体
集団は、フナ類だけでなくドジョウ類にもみられる。
 植物では、自然倍数体が存在して、それぞれの形態が違い、それが分類の混乱をも
たらしてきたが、ひょっとして、魚類でも、そうなのかもしれない。
 種というのは、考えられてきた以上に不安定で、形だけではなく遺伝子まで
、どんどん変えるものなのかもしれない。
 そして、ギンブナのように雑種起源の3倍体種ということがはっきりしてくると、
いまの学名はつけられなくなる。生物学上消えてしまう。いったい、どう処理したら
よいのか。
 また、雌性発生魚のような、いわゆるクローン集団は、種のように環境に対する適
応度は高いのか、それとも低いのか。
 さまざまな議論が闘わされたが、もちろん結論はでない。
 コンビナーの方から、進化とは「種分化」なのでしょうか、ひょっとして「種融合
」ということも起こっているのではないでしょうか、これからは「種分化」と呼ばず
「種形成」とでも呼んで、ひろく「種」と進化の問題を考えていこうではありません
かという呼びかけがあってシンポジウムは終わった。
 現在、淡水魚以外での交雑による「種形成」は報告がない。しかし、有明海産スズ
キは、交雑起源かもしれないという研究が、すすんでいる。
 もし、「種」とは安定しているという「社会幻想」のうえで放流がどんどん進んで
きたのだったら、遺伝子の攪乱どころか新しい「種形成」を人為的にしてしまう可能
性がでてきた。
 我々は、恐ろしいことをしていないか。心したい。 (英)

#01217  田中一雄         RE:分類>雑種起源による種分化 (Re:#01210)

小西 英人さん こんにちわ

 ご返事をありがとうございました。
 それに、魚類の雑種起源による種分化の可能性に関する論文まで転記
して頂き、魚類も植物と同様な進化?の示唆を受けました。 

  >>それに、ぼく植物分類は、まったく知らないのですけど、あれほど
  >>育種が進んでしまい、そのうえに自然倍数体まで存在するような、
  >>ややこしい世界で、学名をつけなければいけないのは、呆然として
  >>しまうなあという感じがあります。植物学名は、動物学名から見た
  >>ら特殊でおそろしい…。

 自然界においてシダ植物は、種内の異数体、倍数体は極く当り前です。
特に無配生殖(無融合生殖)をする種では、3〜8変異が見られます。
それらは、形態的に変異のあるもの、生態的に変異のあるもの、現状で
は全く外形的差異の見られないもの等があり、複雑極まりない状態です。

 生殖に両性を必要としない無配生殖(アポガミー)も多いのです。ア
ポガミーでは卵子ができないので、雌雄の交接がなく、前葉体から直接
に胞子体(即ち通常我々が見ているシダ)を成長させる事ができ、エネ
ルギーの消費が少ないために繁殖に有利です。(遺伝的多様性が無くな
るので、長期的には不利の可能性もある)

 アポガミーのゲノムを調べると、ほとんどが雑種起源と現在では考え
られています。ところがアポガミーは卵細胞はできないのですが、精子
はできるのです。そのために、同属の場合アポガミーの精子と有性生殖
型の卵子との交雑が起こってくるわけです。

 通常雑種の胞子は不稔ですが、中には、不稔の胞子に混ざって正常な
胞子を持ち稔性を獲得した雑種が出てくる場合があります。そうすると
それは新種に発展する可能性があります。


 >>種というのは、考えられてきた以上に不安定で、形だけではなく遺
  >>伝子まで、どんどん変えるものなのかもしれない。

 貴説のように種は不安定で、現在でも変異中と言えましょう。一説に
よると、ベニシダ(アポガミー)は人間の環境霍乱により変異が進み、
種になったと言われています。

 植物だけでなく魚類においても、環境の変化や交雑によって種の変異
や分化が起こる可能性は大いにあると考えられます。結局、なるべく正
確に分類しようとすれば、DNAの鑑定は欠かせず、それが種分化して
きた系統の確認にもなってくると思います。
 しかし、アマチュアにとっては形態の違いが一番解り易いのですが…。

                           田中一雄 Kanagawa  May/15/1999

#01218  小西 英人    分類>雑種起源>ありがとうございます (Re:#01217)

 田中一雄さん。

 ていねいな、ご返事ありがとうございます。

 植物分類の、ややこしさの一端が垣間見えました。

 やはり、大変ですね。魚類で、その辺のややこしさというのを、前に、ある分類屋
に、なんとかならないのかとぼやいていたいら、植物に比べたらましだよといわれた
ことがあり、気になっていたのですが、勉強不足で…。

 ありがとうございました。                 英人
目次

努力しましょう



#01195  イワキ           RE:ハゼ>分類学の限界 (Re:#01187) *

 小西さん、はじめまして。
 淡水魚の話ではないですが、小西さんのお話に大変共感致しましたので、
ついつい出てきてしまいました。僕も分類に片足突っ込んでおりまして、
対象は更にマイナーと思われる、動物の内部寄生虫です。

 こいつらの同定を頼まれた時に、まず「名前」を求められます。ラテン語の
学名では不満なようで、「和名は何ですか?」と聞かれますが、和名が付いている
のはほんの一部だけです。結局、「○○と近縁です」とお茶を濁したりしますが、
そのように一応名前が付いたら話が終わってしまう事が少なくないccです。

 他の動物についても、図鑑やその手の本に調べているのと似たものが載って
いると、「ああ、これだこれだ」と名前を決めてしまう人が少なくないと思う
のですが、そういう人にとっては、図鑑や目録の内容がどんどん変わるのは納得
できない事だろうと思います(鳥屋さんからそういう話を聞いた)。

 大事なのは、そうして分類したものの形態や生態を更に調べて、その分類が
正しいのか、という検証をしつつ、再び分類について考察することだと薄々思って
います。分類学も他と同様、新知識・新技術とともに「壊していきながら更に
構築していく」分野だと思っていますが、そう考えて下さる人がなかなか
居なかったりします。

>> でも、ほんと、原則的には、「種とはなにか」という大命題にこたえの出せない現
>>代生物学の限界だと思います。また、それだけ分類学は最先端を走っているとも思う
>>のです。

 この表現、とても気に入りました。

#01199  小西 英人    分類>努力しましょう (Re:#01195)

 イワキさん、はじめまして。

 動物の内部寄生虫って、ひじょうに広い分類群を扱わなければならないから、大変
ですね。ぼくも、ちょっと魚類寄生虫に興味を持ったりしても、文献も少ないし、あ
まりにも広いから呆然としてしまいます。

 まえに、多毛類の分類屋さんと話したことがありますが、イワキさんと同じことを
おっしゃっていました。またこの多毛類屋さん、顕微鏡で見なければならないような
、ちっちゃいのを専門にしていたから、標準和名なんかないのですよね。学名さえも
ほとんどないから、無人の荒野を行くように記載できるのでしょうが…。

 最近、赤潮の原因プランクトンだとか、渦鞭毛藻類とかを、マスコミなどが書くこ
とも多いのですが、これらの名前のあつかいも、記者諸君の勉強不足(というより、
はっきりいって、まったくの無知。人の話を聞く資格がないほど)を反映して、笑止
千万、けったいなのが多いですよね。

 どうせ、取材されても、わけのわからんこと書くから、頭から怒鳴りちらしたり、
わけのわからんこと言って、結局、取材をことわってしまう分類屋さんも多いようで
すが、こんなことから、分類屋はけったいだ、気をつけろ、おたくだというような、
誤解が、社会に蔓延しているのではないかなと、「分類屋応援団」のぼくとしては、
心配しているのです。

 ひとつには、高校の生物でも、いや、大学の教養課程においてさえ、動物分類学を
教えることがほとんどないから、社会に、そういう素養がないということが、いちば
んの問題でしょう。

 ふたつめには、分類学者の、努力不足もあると思います。

 もっともっと、社会に声を出して、いろいろ教えていく努力をしなければいけない
と思います。

 まあ、分類屋さんは忙しいから、大変なのは分かっていますけれども…。

 ともすればアカデミックな世界だけに沈潜しようとする中坊さんに、一般向けの図
鑑を出版する重要性を強調して、引っぱり出すようにしているのは、そのためもある
のです。

 イワキさんも、疲れてしまうのは分かりますし、まわりが勉強不足だから、どうし
ようもないのも分かっていますが、できるだけ、粘り強く、説明して、社会に分かっ
てもらえるように努力して下さいね。

                                英人
目次

2000/06/18 公開